2017年03月13日

熱意

他人にこうしてと意見をする以上
やり方を教えてあげるべきじゃないか?


そんな事を思ってしまった。

何も手とり足とりとは言わない。
あれを読んだらいいよ、あれを使ったらいいよと言ったアドバイスも含め。


でも、その時どれだけ親身になってくれたのか?

声の調子さえ分からない文字だけのやりとりをして
教えた気になっているだけではなかろうか?

文字のやり取りでもこうしてタイプされた文字ではなく
手書きで手紙で書いてくれていたら想いはもっと伝わるのだろうか?




内容よりも、「どれだけ相手が自分の事を思ってくれた」
それが分かった時にこそ、人って相手の熱意に応えようと変われるのではないか?

これこそが双方によるコミュニケーションでは?と思います。



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Posted by 亞璃紗 at 21:00│Comments(0)日々の出来事
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