2017年01月31日

マスク恐怖症

こんばんは。
突然ですが、ここ数年で
根本的にレスラーのマスクが苦手になりました。


タイガーマスク運動・・・運動自体は素敵なことなのかも知れませんが、
その内、児童養護施設の子ども達に「受けとれよ!」「何で受け取らないんだ!」みたいな、
脅しで、上から目線で、力で、モノを与えるような時代が来そうで怖いです。


そもそも、タイガーマスク運動自体も、
寄付金ではなくランドセルを送った事で
子どもたちから好きなランドセルを選ぶ権利を奪った
 

時代が変わった今、ランドセルの色や種類も増えた今、褒められた活動でもないとお聞きしました。


やっぱり本当に子どもと向き合いたい、助けたいと思うのであれば、
マスクを外して素顔で、子ども達と目と目でも語る事は大事なのではないかと思います。





・・・とは言いながらも、私のやっている活動は
子ども達にキャラクターの事を知ってほしい!
友達に出来ることをキャラクターにしよう!
キャラクターに出来たことを友達にもしよう!

・・・を教えていきたい中で、用途は違いますのでマスクを取りませんが(´・ω・`)
それでもアテンドさんにはマスクNGでお願いしていますが。。
http://arisa0ninja.naganoblog.jp/e2035389.html



でもやっぱり、子ども達からすれば
表情が変わらない・分からないほど怖いものもないのかなと思います。
そういうの、演技力でカバーしていくだけの実力が有ればいいですけどね。。  


Posted by 亞璃紗 at 21:00Comments(0)日々の出来事ゆるキャラ

2017年01月30日

気持ちとは言葉に囚われている

こんばんは。
先日、イベントでこのようなお話を聞いてきました。

世の中にテレパシーというものが流通しない限り
相手に気持ちを伝えるには言葉しかない。
写真とかを見せるにしても言葉でしか気持ちは伝えられない。


けれど、実はそんな中で
相手に気持ちを分かってもらえたという感覚は錯覚でしかないのだと。
分かってもらえたんだと勝手に自分が解釈して満足しているだけなんだと。

そんな話を議論・・・哲学してきました。



分かった という言葉にしたって
実はそれって相手が気持ちを伝えてきている言葉に対して
蓋をするだけの行為になる言葉なのではないか?


確かに何かを言いたいって事は 分かった のかもしれない。
実行に移したいからもういいよ、大丈夫だよの 分かった なのかもしれない。
むしろ、うるさいから黙れって意も込めて 分かった、分かった なのかもしれない。

でも結局、こうしたら喜ばれるんだろうなという聞き手側の想像でしかない
分かった になってるに過ぎないのではないか?と考え始めました。




十人十色なんて言葉もありますが、
なんか究極論、人って絶対に分かりあえない生き物なんじゃないのか?

そもそも論、相手の気持ちを覗きたいか?と聞かれると
そうでもないって思う人もいる中で、分かり合う必要すらないんじゃないか?
・・・そんな風にさえも思えてきてしまいました。


でもそんな錯覚と錯覚が交差した時、勘違いと勘違いが上手く重なった時に
何かが生まれ、創られていくんじゃないかなぁ・・・なんて思いました。
  


Posted by 亞璃紗 at 21:00Comments(0)日々の出来事

2017年01月29日

切磋琢磨

こんばんは。
昨日は私のやってる活動とは?の復習記事を書きました。
http://arisa0ninja.naganoblog.jp/e2043923.html



・・・でもぶっちゃけ、これだけ偉そうな事を書いている自分ですら
「アクター」としての腕は三流なのは分かってるんですよ…。

けれど再三書きますが、育てたいのは「アテンド」であり、アテンドが育つ事で、
逆に「あなたの動きはなっていない!」って教えてくれるくらいの人材を求めてるのですよ(´・ω・)



ゆるキャラ に置ける汚れをブラッシュアップしたい・・・。

世の中には 「プロのスーツアクター だって自分を売ってる人もいる訳で
なのにこんな三流以下の動きしか出来ないのなら、もっと精進するべきだと思う。


逆にこんな三流でも満足というのならそれでも良いのかも知れませんが
暑さに耐えて手を振り続けるだけのボランティアなんて以ての外。

せめて、キャラクターになりきったり屈んで子供目線になるくらいは必要だと思う。




もちろん、そんな事を書く私自身もどこかしら汚れているのだと思う。
だからこそ、こうして想いを書くことで、どこを間違えているのかは分かりたいし、
もう何年もこの活動を続けている中で、直ぐに綺麗には出来ないかも知れないですが
徐々にでも納得した上で、方向の修正はしていきたいと思っております。

そんな私ですが、見捨てることなくご支援ご協力をお願い致します。 <(_ _*)>
  

Posted by 亞璃紗 at 21:00Comments(0)ゆるキャラまちづくり

2017年01月28日

多分繰り返しになりますが

プロジェクト亞璃紗は、訴えをする団体です。

ギャラとかいらない分、ゆるキャラのあり方を訴えさせて!
キャラクター目線で思う事を言わせて! ・・・そんな団体で在りたいです。


正直、お金をもらってキャラクターを運用している所からすれば
営業妨害にもなるんじゃないか?
  ・・・それは分かってます。


でもギャラを貰わない代わりに、様々な事を知って欲しいとしているし、
演者を育てたいのではなく、地域発信の出来る人を増やしたいのです!


その為に 着ぐるみの貸元 のお手伝いをしたり、
キャラクターがどのような活動をしてきたを貸元に報告、フィードバックする活動。
それによりキャラクターが次回以降より良く活動してくれたらを願う活動をしています。



それを「余計な事書くな」とか「コマとして利用したいだけだ」と言うのであれば
劇団とかでやられている所もありますし、別のバイトやらボランティアを雇えばそれで済む話。

ただ私は、ご当地キャラが雑に扱われ、廃れていくのが嫌だ!と叫んでいるだけです。・゜・(ノД`)・゜・


亞璃紗とは 名探偵コ●ン だと以前にも書きました。
http://arisa0ninja.naganoblog.jp/e2029773.html

でも依頼を受けたからには業務はしっかりやらせていただくつもりです。
そして 黙ってて欲しかったらお金をくれたらいい。 それも思っています。
http://arisa0ninja.naganoblog.jp/e2035402.html


そんな中ででも、地域のお助け隊でありたい。
http://arisa0ninja.naganoblog.jp/e2032384.html



そんな想いであります。
なんだかんだで今日で2ヶ月間ブログ更新続けられました。
毒舌ばかりですが、今後ともよろしくお願いします。 <(_ _*)>


  

Posted by 亞璃紗 at 21:00Comments(0)ゆるキャラまちづくり

2017年01月27日

やってもらったことに手放しで喜んで良いのか?

こんばんは。
以前、△と▼のバランスって書いた所で今日はその続きだと思います。
http://arisa0ninja.naganoblog.jp/e2035377.html


最近、ベンチャーコンテストだとか若者が意見を言える場は増えています。

その一方で、地域貢献のボランティアに対しては、いくら貰えるの?だとか
忙しいので自己投資にならない事はやりません。 ・・・そんな風に見受けます。


でもそれってなにか矛盾してません?
その辺は、かつて イマドキの子どもは忙しい?! でも書きましたが。
http://arisa0ninja.naganoblog.jp/e2031035.html


地域の事を知りもしようとしてこなかった人達の提案を
若いのに素晴らしいこと考えたね!って簡単に褒めてしまって良いのだろうか?

地域の事を知っていれば、もうその事例はやっているどころか
担い手がいなかったりの問題があって、既に廃止されたものなんだよ。
・・・そういうものだってあるように思います。



それにボランティアの方も来てくれるだけでアリガタイになってなかろうか?

ボランティアとはお金を貰わない分、お金以上の楽しみは得てもよいと思いますし、
活動によって何かを知り、訴えても良いんだ!とも思っております。

でもただ来てくれるだけ、依頼したこともやってくれない、突っ立ってるだけ、
そして逆に仕事を増やされるだけなら、いない方がマシって事にもなります。


依頼する側からすれば、せっかく来てくれたのだから
何か1つでも持ち帰って欲しいと思う中で何か勿体無いなと思います。



確かにボランティアは、バイトとかの従業員ではないですし
ましてや単なるコマではありません。

でも考えを持つ力を持って来てくれていると思うからこそ
こうして欲しい!ってお願いをする事は良いんじゃないかな・・・と思います。  

Posted by 亞璃紗 at 21:00Comments(0)日々の出来事まちづくり

2017年01月26日

道をあけて欲しい時はなんていうの?

こんばんは。
昨日交通ルールについて書いた所でもう1つ。


歩行者が横に広がって歩いている時、
そしてそれを追い抜きたい時、

「道をあけてください」 って声をかけるの
結構勇気のいる事だと思いませんか?


特に自転車の場合は、ベルを鳴らす人もいる。
でもこれって検索してみた所、こんな結果も・・・
歩行者にベルを鳴らしてはいけない。意外と知らない自転車の法律。
https://matome.naver.jp/odai/2137514675627584701

なので、咳払いをして道をあけてもらうという手段を取る人もいる。

「道をあけてください」 の一言が言えればいいだけなのに。
もっと言えば 「スミマセン」 の一言が言えればいいだけなのに。。



昨年末に 先導とは先に立って導くこと そんなブログも書きましたが
http://arisa0ninja.naganoblog.jp/e2034319.html

道をあけてくださいの一言と、道をあける気配り って大事だなと思います。  


Posted by 亞璃紗 at 21:00Comments(0)日々の出来事ゆるキャラ

2017年01月25日

自殺志願者にはお祈りを

こんばんは。
今日もちょっと衝撃的なタイトルです(・ω・。)

でも、違うんです(違くないけど)。
批判は最後まで読んでからで受け付けます・・・


それはですね、横断歩道の赤信号の信号待ち。
多くの人が青になるのを待っている中、(待ってなくてもなんですが)
信号無視して渡る人には皆で手を合わせてお祈りしましょう!

この活動を進めたいなって思うんですよね。


特に今の雪シーズン、路面凍結でタイヤを滑らせる車もあるかも知れない。

流石に信号無視する人も車が来ないかはチェックしているだろうけれど、
やっぱり車も急ブレーキは出来ない中で、信号無視は良くないと思います。

・・・別に自分が歩道で真面目に青になるの待ってたのを先越された上、
たらたら歩いているから後に追い越す事になったとかそういう理由じゃないです(´д`;)


昨日のブログタイトルとは矛盾するのですが、やっぱり交通ルール。
青になったら手を挙げて渡るはしっかり守りましょうって思う。



でも、交通ルールだってよくよく考えれば
車を運転する人のために作られた都合のいいルールなのかなとも思います。


いくら信号無視をしたって、車道横断をしたって、急に飛び出したって
交通ルールにおいては強者が敗者になる世界だと思っています。

・・・まぁ、大人にならないと車は運転出来ないとか
お金や免許を持っていないと車は運転出来ないとか色々あるとは思いますが。


じゃあ弱い者は何をしたっていいのか?車の運転者は泣きを見るしかないのか?
そう思うからこそ、せめて信号無視する人には合掌するのを進めたいなと思います。  

Posted by 亞璃紗 at 21:00Comments(0)日々の出来事

2017年01月24日

ルールなんか守ってて社会で通用すると思うなよ

こんばんは。
先日から地味に続いてる漫画紹介シリーズ。
今回は電波教師という漫画からの1フレーズです。

今は小学校の先生ということでお話続いているのですが
アニメ化もされた高校教師時代は素敵なワードがたくさんありました。
もしご興味ありましたら、読んでみることをおすすめします(。・ω・。)



結局、法律だって誰かの都合を良くする為に汚い大人によって作られたものでしかなくて、
それを絶対とするのは間違ってる・・・自分の正義を掴みとれってのは感銘を受けました。

時には法を破ってでも守らなければならないもの・・・
世界を敵に回してでも君を守りたい・・・そんなものもあるのかなって。


そんな中で正義とは何か?結局は自分の中のモノサシなんじゃないか?
モノサシの長さはとはもちろん、今まで肉付けされてきた人生とか経験とかによって変わってくるもの。

あとは如何にそのモノサシを使って、相手と歩み寄れるか?なんじゃないかなと思います。
ザックリ言えばどれだけ妥協しあえるか・・・相手と懐の探り合いが出来るか、、、


昨今においてはSNSなども簡単にブロックも出来てしまう中で、
相手を良くも調べないで、上っ面だけ見て近づいたり遮断したりもできるのですが、
そうではなく、もっと根底の部分を見た上で相手と協力したり否定したりすることが大事かなと思います。


例えば、『私は相手を束縛したくない!』
そんな素敵な事を掲げていたって実は『束縛したくないという思い』を束縛してるじゃん?って話。
むしろドMの人からすれば束縛してくれた方が嬉しいんだけど?って話にもなりうる。



でもそんな時、やっぱり何か1つを点として定めないと図形って成り立ってこないのかな・・・?

『束縛したくない!』って点が出来上がったからこそ、
「思いを束縛してるじゃん?」「束縛しないって素敵!」「いやいや、束縛してよ」・・・
そんな点が見えてきて、図形って成り立つのかな・・・?そんな風に思いました。



結局、法律だって改正もされていく中で、不変な点など無い。
ならば自分の信じるもの、良いと思うものを信じ、それを伸ばしていけるか?
人と向き合うってそういう事なんじゃないのかなぁと思います。  


2017年01月23日

子ども食堂

こんばんは。
先日、子ども食堂についてお聞きしてきました。
正確には子ども(が1人で入っても大丈夫な)食堂の意とのことですが。


結論から言うと場所があるって強いなって改めて思いました。
物理的な意味だけでなく、立場って意味でもポジションがあるから色々出来るんだなって。

私も早くそういうの身につけないといけないなって思いました。



さてさて、聞いてる中で思ったこと。
まずが発表者が使っていた『やっている』という言葉。
発表の場の中では仕方なかったとは思うのですが、子ども達を束縛しないようにという傍ら、見方を変えると

・子どもは「地域の宝」「守るべきもの」という考えを押し付けているだけにもなってしまうのではないか?
・実は大人の自慰行為・自己満足としてやっているだけにもなってしまうのではないか?
・だからこそ、せっかく素敵な活動しているのに仲間や賛同者が得られないという問題もあるのでは?

そんな風にも思っていました。
(かく言う自分の団体も仲間集めが全然出来ていないので自問自答な部分でもありますが。)

助けてやっているんだって上から目線ではなく子ども目線・相手目線の気持ちになり
「(心理的な)居場所」について考える事も大事なのではと私は思っています。





また聞いてる中で感じた事…昨今、偏食の子もいる中で
食べれないメニューの時は食べに来ないって選択肢もまぁアリだとは思った。

でも貧困の子を助けてあげたい!を売りとするなら様々なメニューを作ってあげた方が正しいのか?
それとも食わず嫌いを治す為、食材・命の大切さを知る為にも本日はこれ!ってメニューを食べてもらった方が良いのか?

そんなことを考えていました。
もちろんその背景には、貧しい子に食を恵んであげたいからを目的とするのか、
食事というものをツールにコミュニケーション・・・同じ釜の飯を食った仲を目的とするのか、
その辺ででも変わってくるのかなぁ・・・なんて思いました。


孤食と個食はそれぞれ意味も違う中で、食についても色々考えたりしています。  


Posted by 亞璃紗 at 21:00Comments(0)日々の出来事

2017年01月22日

どこからがストーカー?

こんばんは。
昨今、SNS等におけるストーカー規制法も改正される中、
ストーカーとインターネットとキャラクターについて思うことを書きます。


①キャラクターの名前を検索する行為。
この時点でストーカーなのでしょうか?
自分の地域のキャラクターが、お気に入りのキャラクターが今日はどこで活躍してきたんだろう?
アルクマで例えるなら、今日の胸はハートだったのかな?オヤマだったのかな?

それを調べる時点でストーカーなのでしょうか。
そういう人、アルクマ中毒・・・アル中なんていうのだと聞きましたけれど。


②ヒットした結果、演者や関わった人が分かってしまった。
プロジェクト亞璃紗のホームページのキャラへの想い・・・関連して にも書いてあるのですが

http://arisa.the-ninja.jp/about/innocent.html

SNSに全体公開で着ぐるみを着たと投稿するなと言っていても、投稿する人がいます。

そういう人ほどご丁寧に、自分の顔写真をアイコンにして
学校やクラス、部活動などをプロフィールに書いてSNSを利用されているのを見受けます。
確かにそこから先を詮索する事はストーカーにあたるとは思いますが、関わった側もSNSに書かない
プロフィールに個人情報は載せない・・・その対策はするべきではないのか?と思います。

いくら本人が鍵垢だから大丈夫!とタカをくくっていても、
フォロワーから着ぐるみ着たの?なんて投稿されれば
この鍵垢の人は着ぐるみ着たんだな・・・というのはバレてしまうのではないかと思います。


③要は人前に出る仕事をする以上、従事する側も対策は必要です。
これもホームページのアテンドの仕事 に書いてあるのですが

http://arisa.the-ninja.jp/about/attend.html

隣に立っていればいいではなく、常にカメラは向けられているという意識は
持つ必要があるのではないかと思います。

自分も撮られたいからキャラクターの横に居るのか?
自分は撮られたくないからアテンドという仕事放棄で
カメラから逃げるのか?
  ・・・そんな人を多く見かけます。


でもそうじゃない。
キャラクターは写真を撮られたい中で「代わりに写真を撮りますよー」だとか
カメラマンの後ろに立って「カメラのほうを向いてね」と誘導するのが仕事ではなかろうか?


そしてそれは自分に限った事でも無い。
子どもがキャラクターに集っていた時に、「今こっちで写真撮ろうとしてるから待ってねー」と
被写体以外の子どもが写らないように気を配るのも大事。


その家族にとっては一生に一度の思い出ともなるかもしれない写真。
その写真に赤の他人まで写ってたらやっぱりちょっと寂しくないですか?

そういうの以前、 この子、どこの子? って記事書きましたけど。
http://arisa0ninja.naganoblog.jp/e2028240.html



書いてたら取り留めがなくなってしまったので
最後に昔から気になっている動画を貼っておきます。
  


Posted by 亞璃紗 at 21:00Comments(0)ゆるキャラ