2018年12月11日
子どものSOSに気づくこと
実は5年程前に「千曲市にゆるキャラいないよね!」と
千曲市民でもないのに企画を提案したことから千曲市議会は足繁く通い、
千曲市長や市議会議員とも面識を持ったりもしたのですが、それはまた別の話・・・
https://ameblo.jp/sayabl/entry-11526838882.html
というわけで久しぶりのブログです。
今回気になったのがこの話題・・・
西村裕子 市議会議員の
子どものSOSに気づくこと でした
http://www.nagano-city.stream.jfit.co.jp/?tpl=play_vod&inquiry_id=2536
かつて、支える。とは というブログを書きました。
代表が障害者手帳をチラつかせている様な団体なら
より一層副代表がそのサポートやケアをしていくべきじゃないかと思う。
・・・そのようなことを書きました。
・こんなに分かりやすくSOSを発信しているのに何故誰も助けないの?
・資金も労力も援助することなく、何故口だけ出そうとするの?
・シェアをする(≒晒し者にする)だけで、何故自分は手伝わないの?
・・・そのようなことを問いたかったのだと思います。
行けないし、お金も出せないけど・・・せめてシェアだけって人をよく見かけるけれど
シェア≒口を出すだけに他ならなくて、それって助けたつもりになっていただけじゃないのか?
シェアしたところで、誰か聞いてあげてーって丸投げしたところで
届けたい人のところに投稿者の思いが届くかなんて運任せ・・・そんな風に考えます。
ならば、まずはこの市議会議員も仰るように、
自分が聞くこと、自分が動くことが大事なんだろうなと思います。
人は色々な形でSOSを出します。
比喩など遠まわしな言い方をしたり、身振り手振りだったり、
この人なら信頼できるか探ったり試した上で話そうと考えたり・・・。
AIとか機械化が進み、結果ばかりが求められる今だからこそ
人間味、融通の利く社会、プロセスが求められているんだろうなと思います。

2018年10月30日
報道の切り取り

「こんな困っている人がいるのに誰も助けようとしないの?…ならば自分が助けたい!」
プロジェクト亞璃紗の活動ってそういうところだと思っています。
でも、たまに遭遇するのが 『こんな困っている人』 の部分だけを抽出して
「批判された!」「侮辱された!」「1人で出来るもん!」
「別に今のままで良い!」「助けてもらう必要はない!」・・・そんな風に反論してくる人。
確かに部外者に助けてもらうっていうのは余計なお世話かも知れない。
でも真に問いたいのは
「周りのスタッフは何をやっているの?」「こんな事にも気付けないの?」・・・この部分。
まぁ、そこだけを切り取られても
「批判された!」「侮辱された!」「1人で出来るもん!」になるんですけど( ̄▽ ̄;)

こちらが本当に言いたいことは「自分が助けたい!」
けれど身体は1つしかないので「気付きを与えたい!」そんな部分。
・・・そこだけ切り取られても上から何様?ってなるんで
そこも試行錯誤しながら模索中なんけれど( ̄▽ ̄;)
そんな中ではありますが、当人が「批判された!」って騒ぐことで
周囲のスタッフに気付きを与え、それによって環境が変わってくれるなら、
自分は喜んで悪にでもなろうって部分も少なからずありまして、
これは見事に術中にハマったなと思う時もあるんですけどね( ̄∀ ̄)
・・・今まで停滞していたものが、【信州を元気に!】 って息を吹き返したりとか。
とりあえず11月はいろいろ目白押しで自主イベントの企画ができなかったので
昨年のイベント時の資料をパワーアップしましたのを開放しています。
https://www.facebook.com/arisa.the.ninja/posts/1028233907358539
昨年に続いて第2回でイベントを実施しようか悩んでいたのですが、如何せん予定が立てれなかったので資料だけ開放します。
プロジェクト亞璃紗さんの投稿 2018年10月19日金曜日
誰かの参考になればいいなと思います。
https://www.facebook.com/events/1984296788508453/
2018年03月15日
経験を重ねる・・・
着ぐるみ=ハンドルネーム という考え方
http://arisa0ninja.naganoblog.jp/e2129351.html
着ぐるみとは現実世界でのハンドルネームだと私は考えます。
何にでもなれる!誰にでもなれる!普段とは違う体験ができる!・・・そういうものだと思います。
なれる に関しては
このブログでは手にタコができそうなくらい書いてるような気もしますけど(笑)
もちろん、なったからには責任 ってものが付いて回るとも私は思いますが。
そのような中で、どうでしょう?
男の子が知育人形を持つとキモいと言われるのに
大人になると父親は子どもの世話もロクに出来ないの!?って怒られる
男の子が着せ替え人形を持つとキモいと言われるのに
大人になると男性はおしゃれに気を配ることも出来ないの!?って怒られる
なんか理不尽だなーって思います。
練習しようとすると偏見持たれたのに何で出来ないのって怒られるの?って。
似たようなものに、
演劇だとかバレエだとかフィギュアスケートって女性がやるもんだ!
・・・そのようなイメージがあるように思いますが、羽生結弦選手の活躍で
今後はどうなるんだろうなと思います。
悔しいか? なんてブログも書きました。
人間、様々な経験をするからこそ見える世界もある中で色々な物にチャレンジし、
楽しかった!悔しかった!で終わらせるのではなく、フィードバックすることで
世の中はもっとより良くなるんじゃないかなって思います(・ω・`)
2018年03月13日
悔しいか?
中でも1番言いたいのはこの部分だと思います。
でも現状として・・・
こういう問題があると思ってます。
私はやりっ放しの自己満足が嫌いです。
反省してフィードバックしてより良くしていくサイクルこそが素敵だと思ってます。
また、お店とかでも『いらっしゃいませ』って呼び込みしてるから入ってみたら、
店内バタついてて客対応が出来てないってのも最悪だと思っている。
呼び込みスタッフを戻して、店内対応させて!!って思うクチです。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
人には役割分担があるという。呼び込み担当、ホール担当、キッチン担当が正にそう。
でも自分の事さえ出来ていれば良いのか?
それは組織に属して働くものとして集団行動が出来てないのでは?とも思える。
確かに自分のことも完璧に出来ないで他所にクチを出すな!という考え方もある。
…でも完璧って何?自分の100%も相手にしたら50点だって時もある。
だからこそ1個だけ極めるより満遍なく学んだ方が効率的だとも思う。
今の世の中、慣らす事もなく成れ!って即戦力を求められてしまうし、
日雇いバイトなどは言われてない事には手を出すな!みたいな風潮もある中で、
この問題はどんどん根深くなってるのかなと思ってる。
しまいに近年は、無知な方が…モラルの無い方が面白い!
みたいな流れも出てきてしまっている中で色々難しいなとも思う。
そしてそういう人って常識に囚われない方が面白いといって
意外とそれまで培ってきた人の声に耳を貸そうとしない人も多い気がする。
それは常識ではなくて、培ってきた人の歴史だと私は思うんですけどね(・ω・`)
こないだたまたま、ハイキューってアニメで見たんですが
今悔しいのは当然だからな!
どんな勝負したって負ければ悔しいに決まってる。
極端に言ったら、大して練習マジメにやってない奴だって試合に負けたら悔しいんだよ。
悔しいって感情は誰だって本物なんだと思う。
でも、その悔しさ!三日で忘れる奴は弱いままだからな!
高校の三年間なんて、モタモタしてたらあっという間に終わっちゃうからな!
今の悔しさ、忘れんなよ!
多分私は、楽しいか?楽しくないか?で活動しているのではなくて
悔しいか?悔しくないか?で活動しているんだと思う。
2018年01月01日
あけました

実は先日、某所にて撮影させていただきました。
さてさて、毒舌ばかりの当ブログですが
キャラクターをきちんと登場させたい
そのような想いの下、これからも精進していきたいと思います。
という事で、イベント時にお配りしてるアテンドマニュアルを再掲します。


貴方の活動には賛同できないわって言って
イベント時に会場内をゆるキャラを引きずり回すだけのボランティアをされる人もいますが
私が本当にやりたい事はゆるキャラとのふれあい方を訴える部分なのだと思います。
年末にactivoというものにも登録してみました
https://activo.jp/articles/68597
求める人・・・
<着ぐるみ演者>【基本的な演技は、お教えします】
自分の声や顔が嫌いで自分に自信が持てない人、別人になってみたい人
コミュ障だけど他者とふれあいたいって思っている人
<着ぐるみアテンド>【一緒に訴えていきましょう】
ご当地キャラ(着ぐるみ)が好きな人
子どもが好きな人、他者の面倒を見るのが好きな人
このような事を考えております。
どうぞよろしくお願いします。 <(_ _*)>
あ・・・。
言いたいこともだいたい言えたので、これでまたしばらくブログは休止します(笑)
2017年12月31日
今年も最後になりました
そもそも着ぐるみの楽しさって何だろう。
別に演じる楽しさではなくて、見る楽しさ。
来場者を笑顔にしたいとは思っているけれど
アイドルのコンサートみたいになればよいの?
それともプロレスとかすればいいの?
それを考え出したとたん
コンサートって何が楽しいの?プロレスって何が楽しいの?
そんな感情に陥りました。
そもそも自分に言わせれば
誰かを笑わせるために拳を振るう って意味では
プロレスもイジメも大差ないと思ってますからね。
相手の合意の有無が分かれ目になるのだろうけれど
合意なんて脅しでどうとでもなってしまう世の中だと思っている。
教師「いじめた人は○さんに謝りなさい」
— しんたろー (@shintaro516) 2017年12月22日
生徒「ごめんなさい」
教師「○さん、返事は」
○さん「…」
教師「皆が反省して謝ってるんですよ。許してあげなさい」
○さん「…はい」
教師「はい、仲直り」
…この瞬間に、○さんの今までの苦しみは
全部なかったことにされてしまう
それが教室
まぁそれでも叫ばなければならない事もあるだろうし
叫んだ結果、殺害されるなんて事件もあったりするわけですが
逆に事件にでもなった方が世間に知ってもらえるような気はしています。
17歳ユーチューバー、殺害される=麻薬組織ボスを侮辱―メキシコ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171224-00000021-jij-int
先日、名誉毀損の前に名誉ってなに? とは書きました。
捨て垢から誹謗中傷をしていたら、相手が精神的苦痛の診断書を取って訴え、裁判所から仮処分命令が出て、Twitter社からログイン情報が提供され、それをもとにIPを元にプロバイダから個人情報が提供され、リアル訴訟沙汰に…という状況をまさに処理してる最中で、しかもこれが1つ2つじゃないという…。
— Kuzunoha (@kuzunoha_ff) 2017年12月25日
捨て垢にするなら、本当はIPも串刺しにするとかするべきだろうと思うし
それをしないのは騒ぎにするのが一番手っ取り早く
世間に知ってもらえるからだと思う時もあります。
まぁそれが社会的にどうなのかって所で
(上記のように殺されなければ)
来年はもう少しまともに生きてみたいと思います。
2017年12月30日
やるからには責任を!
このような事はよく遭遇します。

確かに今の学校は少子化だと思います。
部活動なんて練習なんかしないでも
学校の代表選手として大会に出られるんじゃないかと思います。
遊びでやってるんでしょ?
別に早くなる必要、上手くなる必要なんて無いんじゃないでしょうか。
負けて悔しい?
練習もしない、誰かと切磋琢磨する事もなかったのだから
これで戦いに出ないで楽だ~って思ってれば良いじゃないでしょうか。
今時の人って、その部分がポッカリ抜けてるんじゃないかなって思います。
正直、なんで泣いてるの?泣く必要なんてないじゃない!
泣くなんてちゃんちゃらおかしいよね!って思えてきますよね(笑)
以前、広告塔として なんて長商デパートの事を書かせていただきました。
店員「いらっしゃいませ~、いらっしゃいませ~」
客「何を売ってるんですか?」
店員「分かりません」
客「この商品のおすすめポイントはなんですか?」
店員「分かりません」
それどころか人ごみの中を荷物を持って通る時に
「すみません、道を開けてください」
それすらも言えない。・・・キャラクター担当の生徒は正にそんな感じでした。
つまり、キャラクター名も何をPRするキャラクターなのかも言えないばかりか
人ごみの中を無言でキャラクターを引っ張って連れ回していました。
やってもらったことに手放しで喜んで良いのか?
学生だし、所詮文化祭だし、仕方ないよね って
大人に舐められっぱなしで学生は悔しくないのか?
文化祭だからこそ学校で何を学んできたかを発表する場で
あんたら学校で何を学んでるの?
学校ではそんなことすら教えてくれないの?って恥を晒す場になっていないだろうか?
なんかそういう感情って今はどんどん薄れてしまっているように思います。
先日、鹿教湯温泉で行われたイベントでも
アルクマがリンゴ頭巾の木の枝を付け忘れたみたいで・・・
雪舞う鹿教湯温泉、幻想的に 氷灯籠ライトアップ
http://www.hokurikushinkansen-navi.jp/pc/news/article.php?id=NEWS0000013152
2017年12月29日
『形にする』とは想像する楽しみを無くさせる行為なのか?
過去にもそのことには触れましたが、
そのキャラクターデザインが遂に完成したみたいですね。
http://www.city.nagano.nagano.jp/site/kanko-nagano/404200.html

でも自分の中では、家族図を作ることには賛成でしたが
キャラクターデザインを作るところまでは反対でした。
『自分がこのキャラクターのポジションだね!』
家系図だけ貼って、来訪客が想像を膨らまし、
家族で話し合い盛り上がるのが楽しいのではないか?
そんな風に思い、とある所に企画書を提出したのを覚えています。
というかぶっちゃけ、長野市内にキャラクターが多すぎです(>_< )
http://arisa.the-ninja.jp/about/assist.html
確かにこれで、来訪した子ども達にサイ太郎のお面をかぶせて
君もサイ太郎になろう! ・・・そんな事が出来るかも知れない。
でもそれでは、今までボランティアさんがやられていた
駅長帽子を被せるという行為が薄れてしまうのではないか?と感じる。
公式・運営側は、そこまで細分化で決めてしまう必要はないのではなかろうか。
先日、アンチ という記事を書いた。
ランドセルを贈るということは、
子ども達からランドセルを選ぶという権利を奪うことだ と。
果たして、作ったこと・送ったことでどうなるのか?どうしたいのか?
ただ盛り上げたい!助けたい!っていう薄っぺらい気持ちだけでやった所で
相手の事を本当に考えていると言えるのだろうか?そんな風に思います。
善意が人を殺すって所でTwitterから気になるものを見かけました。
いかんでしょ pic.twitter.com/JnrdKA1zho
— そらいと (@sorabethere) 2017年12月26日
2017年12月28日
世の中溢れすぎている
音楽は無料で聴けて当たり前って考えてる人が多すぎる…お金を払って音楽を聴く文化はどこいった pic.twitter.com/8lR9Zap33T
— RISA (@ly1wc) 2017年12月18日
「無料にしろ」って結局
— あいるんるー(AILL) (@lululu_love72) 2017年12月19日
「この歌や曲には、金を払うだけの価値はない」
「その歌や曲はそこまで好きじゃない」って
言ってるのと
同義なんじゃない?って思いますね。
その歌や曲に価値を見出したなら
応援の意味も兼ねて、買うのが普通だと思います。
勿論、法外な価格なら怒っていいと思うけど。
お金を払ってまで聞くに値しない曲…。
聞いてやってるんだから無料にしろ!!
どちらの方が立場が上なんだ・・・った感じに思っていました。
使ってやってるんだから無料でいいだろ!!
何かゆるキャラ…着ぐるみでも有るような問題だなと思います。
その一方で思いました。
信州人にとって、りんごなどは貰い物であり、スーパーでは中々買わないと。
それつまり、世の中には商品が溢れてて、
更には売ってるよりも高品質のものが無料で手に入るのなら誰も買わない。
・・・昔、東京で買ったりんごがボケてたのには驚いたものでした。
(ボケるって方言から通じなかったのも驚きましたけど)
これ、実は音楽でも言えるような気がしています。
ボーカロイドという技術もどんどん進み、歌ってみたも流行るようになり
youtubeとかニコ動とかで上げる人が、もはや本家を超えてしまった・・・
そこは聞き手の好みもあるのでしょうけれど、
本家以上のものが無料で聞けるようになってしまっているのではないかと。
まぁ音楽って歌い手で買うのか?メロディで買うのか?ジャケットやPVを見て買うのか?
実はそこを細分化してみると興味深いものなのかも知れないとは思っています。
結局何が言いたいかっていうと
先日の名誉ってなに? に通じてくると思うのですが
他人を何で評価し、深みを持って考えられるか?
どうしたらお金を払っても良いと思われるか?
そんなところだろうなと思います。
2017年12月27日
『マニア』が殺す
かつて こうあるべきがワザワイを引き起こす?!
そのようなタイトルの記事を書きました。
そして、Twitterで似たような案件を見かけました。
うわあ。「あらゆるジャンルは『マニア』が殺す」の極北をみるようだ。
— くらむじぃ (@Clumsy_k) 2017年12月24日
こういうひとが自分の趣味の近所にいたとき、どうするのが最適解なのだろうなあ。なんらかの方法でお縄になってもらうとかかしら。おつかれさまです…。https://t.co/gQu2YUaKBI
まぁ、傍から見れば自分もそちら側・・・
イキリオタク側に見られているんだろうなとは思っています。
でも決定的に違うのは、それを遊びとして自分の為だけにやっているのか?
仕事として誰かの為にと人前でやっているるのか?って所かなと。
新人のくせに!とか、
こっちは今までどれだけの年月を応援し
どれだけの金を落としてきたと思ってるんだよ!
ここまで苦労して築き上げてきたのに
ニワカが易々と私と同じ立場に立つんじゃないよ!
・・・そんな感覚は近いのかなとは思いますけれど。
流石に運営側の人間でもないのに、
二度と現場に来ないでください!は言い過ぎだとは思いますが、
もし仮に自分が同じ立場だったら、逆に追っかけてってこうやるものだ!とか
半年ROMって勉強して出直してこいって言ってしまうかも知れないなと思います。
もちろんそうなってしまう理由の中には
アクターに恋愛感情を抱いてて独占したい!って気持ちもあって
そうなってしまうのも仕方ない事だとはいうのは分かるような気がします。
でもファンだからこそアクターさんの公私の線引きはするべきだと思うし
一昔で言う親衛隊っていう立場として変なファンから守るのが本来の役目であって
あんたが変なファンになってどうするんだよ!って部分でもあるのかなと思う。
互いが互いにいがみ合ってても仕方ない中で、大人になろうよって案件かなって。
自分のバイブルであるAKB49という漫画んこんな一節がある。
『アイドルとは衣装(ふく)だから』 と(11巻 前田敦子談)
衣装(着ぐるみ)に着られるな! とは普段言っていますが
結局ファンとは衣装を見に来るようなものだと。
つまり衣装を脱いだその人・ステージを降りたその人は、ただの一般人だということ。
仲良くなりたいのは分かるけどそれこそストーカー行為・・・犯罪の一歩手前なのかなと。
そんな事を思いながら悶々としておりますが
結局、こうあるべき!って思ってしまうのが負けなのかなって思います(´・ω・)。
