2017年02月28日

1つの見方をしてしまうと切り替えって難しい?

先日行った当団体のイベントの様子、
こちらでも掲載していただいておりました<(_ _*)>
「ご当地キャラ」から考えるいじめ問題
https://thepage.jp/detail/20170226-00000001-wordleaf

・・・同記事、Yahoo!ニュースにも転載されていました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170226-00000001-wordleaf-l20


さて、その集いにおいて私の過去のこのような事もお話してきました。
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小学1年生の頃、お家のお手伝いと言う発表がありました。

無難に?お皿洗いをしたと発表する事にしたのですが、
同じお手伝いをした人同士で班を組んで発表するとなった時に
誰一人として、お皿洗いをしたと言う人がいませんでした。


でもそれからしばらく経った日、それぞれの班の発表の練習の時に気が付きました。




…お皿の事を食器と言うのだと。

食器洗いの班は別であったのです。

食器の事をお皿と言ってる子が可愛いと見られたのかも知れません。
アイツ、食器って単語知らないの?と馬鹿にされたのかも知れません。

先生でもクラスの人でも教えてくれたら良かったのにと
大恥をかいて悔しく思った記憶があります。


それくらい自分で調べろと言われるかも知れませんが、
【お皿】ってワードを知ってる以上、別の言い方があるなんて当時は思いつきもしませんでした。

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実際、お皿ってワードの方が子どもっぽくてイイのかも知れません。
それに食器って言葉に統一しなきゃいけないという話でもありません。


けど、こういう選択肢もあるんだよと教えてあげることの重要性。
知らないでそれを行うのと、知った上でそれを選択して行うのでは
雲泥の差があるのではないかと私は思っています。

結局、そういうところもコミュニケーションなのかなって思っております。  


Posted by 亞璃紗 at 21:00Comments(0)日々の出来事イベント報告

2017年02月27日

モノに罪はない。

最近イベントレポートばかりなので今日はひと休みです(*´~`*)
いつも キャラクターをモノと見るな!
そんな風に書いているところで、今日は矛盾することかも知れません。



ONEPIECEにおいてトムさん(船大工)の名言・・・
この世に海賊船の設計図なんてのはないのよ

乗り込んだ船乗りがドクロ掲げりゃ海賊船
カモメを掲げりゃ海軍船だ

何を作りたがろうと構わねえが作った船に男はどんと胸を張れ!

この言葉に感銘を受けました。


昔、近所の子に、このような事を聞かれたこともありました。
ピカチュウはイイモン(味方)だけど、ニャースはワルモン(敵)
・・・じゃあ○○ってポケモンはイイモンなの?ワルモンなの?


そうじゃないんだよ・・・ポケモンはトレーナー(自分の正義)に従っているだけ。
正しいと思ってやっている中で、それが結果として悪と出てしまう事もある。

そんな風に思いながら、正義のトレーナーが使えばイイモン
悪のトレーナーが使えばワルモンになるんだよと教えた気がします。


この前投稿した記事、
食材を活かすも殺すも職人の腕。にも通じることかもしれません。
http://arisa0ninja.naganoblog.jp/e2054438.html




また先日、日本色育推進会長野色育会の方とお話もしました。
色・それ自体には正義も悪も無いということ。


赤は主役、黒は敵・・・みたいなのも戦隊の影響を受けてるだけでは?みたいに思いました。





さて、最近私が思っていること。
人が2人いれば、自分と違う人・・・味方と敵って区別は出来るかもです。
でも3人以上いた場合、貴方は私の味方なの?それとも敵なの?


そんな風に区別されることが殆どなのではないかと思います。
もっと、三者三様・・・多種多様・・・みんな違ってみんな良い・・・
そんなノーマライゼーションな世の中になって欲しいなと思います。

  


2017年02月26日

げんすけ祭り

最近、22日のイベント報告ばかりなのですが
実は先日、NPO法人わおん♪さんのげんすけ祭りにもお手伝いに伺っておりました。

げんすけは“魂憑き”で運営されている中で
サインが書けるけん玉が出来る皿回しが出来る など
プレミアム感を出しているとお聞きし、どのような感じなのか拝見したいなと思っておりました。


そこで改めてげんすけの人気を感じました。

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その一方で、やっぱりヤンチャな子も多かったわけで・・・。


先方のアテンドのやり方を見てみたかった・・・
先方には先方のやり方もあるんだろうな・・・というのもあるのですが、


こちらもあくまで お手伝い だった中で


ゆるキャラの背中をさすってチャック下ろそうとしてた子に対して、
ズボン履いてる子の股間触ってチャック下ろそうとするのと一緒だよ

私自身もこの注意をする事が出来なかったのは不覚で残念でした。




やっぱり
子ども達にゆるキャラとのふれあい方を教えたい。
子ども達にゆるキャラのキッズアテンドをやってもらいたい。
子ども達の口から、「げんすけの目を叩いちゃいけないんだよ!」

そんな風に言える環境作りがこれから先、出来たら素敵なのにな…って思いました。




最終的に、ゆるキャラをエスコートしてくれたり、
更衣室の扉を開けるまでをしてくれる子も居た中で、その鱗片を見た気がするので
こういう想いを分かってくださる人がこれから先もっと増えたら良いのになって思います。  


Posted by 亞璃紗 at 21:00Comments(0)ゆるキャライベント報告

2017年02月25日

愛し、認める、柔らかい気持ち

イベントレポート第3弾です。

写真は始まる前の会場の様子

ゆるキャラって誰かが勝手に作ったんだもん、それを愛せる訳がない!
…つまり障害者ってその人が勝手になったんだもん助けたいと思えるはずがない!

そう言っているのと同じだと言う話になりました。


また、ゆるキャラの存在理由が分からない。
…つまり障害者の存在理由が分からないと言って毛嫌いする人も多い中で、
どうしたら認めあえる世の中になるか考えていくべきだという話にもなりました。



なりたくてなった訳じゃない!

それは障害者だって、ゆるキャラだって一緒。
ゆるキャラだって、本当はもっと他にもアピール出来る要素があったかも知れない中、
上の決定や、多数票だったりで勝手に決められてその形で生み出されてしまったもの。

でも生まれてきたからにはみんなで愛しましょう!という考え方。



寝たきり老人や植物状態になってしまった人の生きている意味がわからない!
そんな風に言うのではなく手を差し伸べていきましょうという考え方。




でも実際は、話しかけの敷居が高すぎる・・・
遠慮してしまって声をかけれない?周りの目が気になって助けられない?
・・・助けたが為に、アイツはあの人の味方で私の敵だ!という見方までされてしまう?



そういうのも気にならないくらいの心の余裕・心のゆとりが
これから先、もっと必要になってくるのではないか?という話になりました。  


Posted by 亞璃紗 at 21:00Comments(0)イベント報告

2017年02月24日

頼まれた以上、責務がある?!

昨日のイベントレポートに続き、本日は第2弾です。



昨日の結論として、
みんなが理解してくれたらアテンドなんていらなくなる。
みんながアテンドになれたらそれでいい。


そんな風にまとめました。


でも当ブログでは過去に、こんな風に書いたこともありました。
縄跳びは縄を回してくれる人がいるから成り立つもの
http://arisa0ninja.naganoblog.jp/e2054998.html


じゃあサポートする人の役割って何?必要性って何?
きちんとサポートしてくれないなら自分でやってしまった方が良いの?

それともせっかく素敵なプレイが出来るのにサポートする仲間がいないからヤメちまえ!
・・・果たしてそうなってしまうのか疑問に感じました。


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前回は飲食店でいれば、ホールの人はパフォーマーであり、
キッチンの人はサポーターであるように例えました。・・・でも今回は逆。


おいしい料理を作る提供者がいて、それを求めるお客様がいる。
ホールの人はその架け橋になるべき人なんだと。


なのに、ホールスタッフが喰っちゃべってたり、暖房にあたってたりで仕事もしない。
そんな仕事も出来ない人に期待するくらいなら、厨房の人が自らやった方がマシ!

もしくは出来た料理をセルフサービスで客が取りに行く方がいいわ!ってなってしまう。


従事している以上、自分の役割は全うするべきではないか?
根本として、従業員である以上は雇っていただいている店長は敬うべきではないか?

やっぱり信頼されて、その仕事を任されて、その場にいる中でそこは責任を持つべきでは?と。




もちろんその仕事を与えられる前に自分の出来る限界ラインを見つけることは大事。
でも、そこを限界と定めてしまってはそれ以上の伸び代や期待も出来なくもなる?


そこには周囲がその人の器量を理解し、
受け入れる心も重要になってくるのではないだろうか?


そんなところもお話している中で出てきました。  


Posted by 亞璃紗 at 21:00Comments(0)イベント報告

2017年02月23日

アテンドとは架け橋

昨日のイベントレポートです(第1弾)。




世の中便利になりすぎた分、他人との繋がりが希薄になった。

・・・やっぱりそれは感じる中で、
じゃあ人は今後、コミュニケーションを取らずに生きていけるのか?
逆にコミュニケーション取る必要性はあるのか?とまでも疑問に至った今回。


でも生きるとはコミュニケーションを取ることだ!人は人と生きてこそ人!だという意見。
それに、気持ちとは言葉に囚われている なんて過去に書きましたが、
http://arisa0ninja.naganoblog.jp/e2044455.html


やっぱり心や気持ちって他人とコミュニケーションを取ることで
磨かれていくんだという事を再確認できるイベントでした。




そんな中で、結局ゆるキャラも含めた障害者達は
自分の出来る事を周囲に分かって欲しいと思っている。

そして受け手側、健全者も障害者の事を分かってあげたいと思っている。


・・・しかし問題はその架け渡し、アテンド役・介助人・仲介役が
本来はもっと障害者と健全者の橋渡しとしてあるべきなのかもしれない。

なのにそれを隣に立ってるだけの楽な仕事と思われている事に嘆いているのが当団体なのだと。
・・・障害者の介助人って隣に立ってるだけの楽な仕事なんですかね?と。




以前、アンパンマンで例えて 活動と運動 の違いの話もしました。
http://arisa0ninja.naganoblog.jp/e2039066.html

そこには何でも自分で助けるには限界がある中で理解者を増やしていこう・・・的な。




けれど世の中もっとノーマライゼーションを認められたら、アテンドと言う仲介者が居なくても、
周囲がみんな障害者・・・相手の事を分かってくれたら世の中って変わっていくのかな。

特化したアテンドなんていらなくなるのかな・・・そんな感想でした。  


Posted by 亞璃紗 at 21:00Comments(0)ゆるキャライベント報告

2017年02月22日

アニメとはオタク的コンテンツではなく表現方法

本日イベントに参加してくださった方、ありがとうございます。
レポートは明日のブログにでもアップさせていただきたいと思います。

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先日、オタクとニワカ という記事を書きました。
http://arisa0ninja.naganoblog.jp/e2055270.html

世の中どうしても、アニメ=オタク向けという風潮があるように思います。



でも私は、アニメって単なるジャンルと言うより表現方法なのではないかなと思っています。
例えば空を飛んだり、ビームを出したり、斬撃が見えたり、体が伸縮したり、変身したり・・・。

それを表現する為の方法の1つがアニメに過ぎないのではないかな?と思います。




1例として、アニメの中でカードで変身するキャラ がいます。

でもこれを現実世界に置き換えた時に、1人の一般人が
タイムカードを押した事で従業員に変身した!
・・・それと同じだと思います。




1例として、アニメの中で携帯電話で変身するキャラ がいます。

でもこれを現実世界に置き換えた時に、プライベートで遊んでた人が、
取引先から電話がかかってきたので社員として受け応えた!
・・・それと同じだと思います。



そうやってみるとアニメの事を否定しながら・・・特撮の事を否定しながら
結局それと似たような事をみんなやっているんですよね。



見た目だけで判断して毛嫌いして拒むんじゃなくて
もっと受け入れる心を持てたら良いのになって思います。  


Posted by 亞璃紗 at 21:00Comments(0)サブカルチャー

2017年02月21日

ゆるキャラたちの事件簿

気づけばイベントも明日となりました。
何卒よろしくお願いいたします <(_ _*)>

【ゆるキャラから見た、いじめ問題をゆる~く話し合おう!】
https://www.facebook.com/events/1375790382494837/




さて、今回のこのイベントをやろうと思ったキッカケはいくつもありました。

昨年のササダンゴンというキャラクターの訴え


もう4年も前になってしまいますが
ちっちゃいおっさんというキャラクターの訴え




そして2015年に起きたタルト人というキャラクターの事件
一体なぜ?…ご当地キャラクター「タルト人」が集団暴行を受ける - NAVER まとめ
https://matome.naver.jp/odai/2144322510622588001

暴行被害のゆるキャラ「タルト人」が復活…殴った犯人は出頭してた - NAVER まとめ
https://matome.naver.jp/odai/2144461507011758601




挙げだしたら、他にもいくつもあると思います。
・・・むしろ喋れないキャラクターたちは泣き寝入りをみています。。。

そういう部分、もっとオープンにして、多くの人に分かっていただけたらと思っております。
ふれあい福祉センターでお待ちしておりますのでどうぞよろしくお願いします <(_ _*)>
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タグ :ゆるキャラ


Posted by 亞璃紗 at 20:00Comments(0)ゆるキャラ

2017年02月20日

オタクとニワカ

世の中をおかしくするのは、オタクではなくニワカだ!
・・・私はそう思っている。

半端な知識で世界に飛び込んだ為に火傷してる人がいっぱいいる
・・・そんな風に思う。

2ちゃんねるなどにおいての、半年ROMれ ほどの名言は他にないと思う。




以前、やってもらったことに手放しで喜んで良いのか?
http://arisa0ninja.naganoblog.jp/e2044086.html

そんな記事を書きました。
そこで言いたかった事はその部分だったと思います。


更に以前、どこからがストーカー?
http://arisa0ninja.naganoblog.jp/e2043273.html

そんな投稿もしました。やはり関わるからには知識を持った上で行うべきだとも思う。




けれど、オタクとはその題材に置いて知識を高めた専門家。
そこに到達するのは並大抵の努力ではなかったのではないかなと思う。

その領域に知識も足りず安々と踏み込んだわけですから
代償としての火傷は仕方のない事なのかなとも時々思う。


そこへ如何に、その人が火傷しないよう専門家がフォローしていけるかだと思うのですが
むしろオタクとは一般の人に知ってもらいたい!布教したい!と思っているのに対し、

一般の人が逆にオタクの話を聞き入れない、
偏見を持って受け入れようとしていないという現実のが問題なのかなと思います。

私はそういう現象になるのを、
物事が大衆化したした事による負の蓄積って事なのかなと思っていたりもしますけれど。。。  


Posted by 亞璃紗 at 21:00Comments(0)日々の出来事

2017年02月19日

すれ違い・・・

ブログって起承転結させるものなの…?
自分の想いとか、お知らせとか、訴えをつらつらと書く場所だと思っていた。

チラシって文字を少なくするものなの…?
確かに手に取ってもらえるようなインパクトは大事だと思うけれど
大事なのは持ち帰って隅々まで読んでもらう事だと思っていた。





前例のない事を初めてやるんだもの

そこにニーズがあるのか、必要とされるのか知りたいから・・・
そんな理由でイベントを行いたいっていうのはダメなのでしょうか?


それに「初めてやるんだから、他人を殺したって仕方ないじゃない!

…そうならない為に予防策を乞うてる中で、意見やアドバイスも欲しい。
でもそれを頂き、聞いたところで私なりに租借し考える時間や猶予くらいください。。。


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客観的には自己弁護なのかもしれない。
そういうのは以前、モンモン・ムズムズ で書きました。
http://arisa0ninja.naganoblog.jp/e2043930.html



でも正しいは正義ではない。正義も人の数だけ存在する。

食戟のソーマでも主人公が言っていました。
「行き着く先がわかっていたら楽しくないだろ」
・・・あえて定石から外れることで新たなものも見えてくるのと。


どこまでを常識とし、どこからが定石とするかは個人の差かも知れませんが
まずはやってみないと!と思う中で水曜日のイベントに向けて現在不安でいっぱいです。。  


Posted by 亞璃紗 at 21:00Comments(0)日々の出来事