2017年12月31日
今年も最後になりました
そもそも着ぐるみの楽しさって何だろう。
別に演じる楽しさではなくて、見る楽しさ。
来場者を笑顔にしたいとは思っているけれど
アイドルのコンサートみたいになればよいの?
それともプロレスとかすればいいの?
それを考え出したとたん
コンサートって何が楽しいの?プロレスって何が楽しいの?
そんな感情に陥りました。
そもそも自分に言わせれば
誰かを笑わせるために拳を振るう って意味では
プロレスもイジメも大差ないと思ってますからね。
相手の合意の有無が分かれ目になるのだろうけれど
合意なんて脅しでどうとでもなってしまう世の中だと思っている。
教師「いじめた人は○さんに謝りなさい」
— しんたろー (@shintaro516) 2017年12月22日
生徒「ごめんなさい」
教師「○さん、返事は」
○さん「…」
教師「皆が反省して謝ってるんですよ。許してあげなさい」
○さん「…はい」
教師「はい、仲直り」
…この瞬間に、○さんの今までの苦しみは
全部なかったことにされてしまう
それが教室
まぁそれでも叫ばなければならない事もあるだろうし
叫んだ結果、殺害されるなんて事件もあったりするわけですが
逆に事件にでもなった方が世間に知ってもらえるような気はしています。
17歳ユーチューバー、殺害される=麻薬組織ボスを侮辱―メキシコ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171224-00000021-jij-int
先日、名誉毀損の前に名誉ってなに? とは書きました。
捨て垢から誹謗中傷をしていたら、相手が精神的苦痛の診断書を取って訴え、裁判所から仮処分命令が出て、Twitter社からログイン情報が提供され、それをもとにIPを元にプロバイダから個人情報が提供され、リアル訴訟沙汰に…という状況をまさに処理してる最中で、しかもこれが1つ2つじゃないという…。
— Kuzunoha (@kuzunoha_ff) 2017年12月25日
捨て垢にするなら、本当はIPも串刺しにするとかするべきだろうと思うし
それをしないのは騒ぎにするのが一番手っ取り早く
世間に知ってもらえるからだと思う時もあります。
まぁそれが社会的にどうなのかって所で
(上記のように殺されなければ)
来年はもう少しまともに生きてみたいと思います。
2017年12月30日
やるからには責任を!
このような事はよく遭遇します。

確かに今の学校は少子化だと思います。
部活動なんて練習なんかしないでも
学校の代表選手として大会に出られるんじゃないかと思います。
遊びでやってるんでしょ?
別に早くなる必要、上手くなる必要なんて無いんじゃないでしょうか。
負けて悔しい?
練習もしない、誰かと切磋琢磨する事もなかったのだから
これで戦いに出ないで楽だ~って思ってれば良いじゃないでしょうか。
今時の人って、その部分がポッカリ抜けてるんじゃないかなって思います。
正直、なんで泣いてるの?泣く必要なんてないじゃない!
泣くなんてちゃんちゃらおかしいよね!って思えてきますよね(笑)
以前、広告塔として なんて長商デパートの事を書かせていただきました。
店員「いらっしゃいませ~、いらっしゃいませ~」
客「何を売ってるんですか?」
店員「分かりません」
客「この商品のおすすめポイントはなんですか?」
店員「分かりません」
それどころか人ごみの中を荷物を持って通る時に
「すみません、道を開けてください」
それすらも言えない。・・・キャラクター担当の生徒は正にそんな感じでした。
つまり、キャラクター名も何をPRするキャラクターなのかも言えないばかりか
人ごみの中を無言でキャラクターを引っ張って連れ回していました。
やってもらったことに手放しで喜んで良いのか?
学生だし、所詮文化祭だし、仕方ないよね って
大人に舐められっぱなしで学生は悔しくないのか?
文化祭だからこそ学校で何を学んできたかを発表する場で
あんたら学校で何を学んでるの?
学校ではそんなことすら教えてくれないの?って恥を晒す場になっていないだろうか?
なんかそういう感情って今はどんどん薄れてしまっているように思います。
先日、鹿教湯温泉で行われたイベントでも
アルクマがリンゴ頭巾の木の枝を付け忘れたみたいで・・・
雪舞う鹿教湯温泉、幻想的に 氷灯籠ライトアップ
http://www.hokurikushinkansen-navi.jp/pc/news/article.php?id=NEWS0000013152
2017年12月29日
『形にする』とは想像する楽しみを無くさせる行為なのか?
過去にもそのことには触れましたが、
そのキャラクターデザインが遂に完成したみたいですね。
http://www.city.nagano.nagano.jp/site/kanko-nagano/404200.html

でも自分の中では、家族図を作ることには賛成でしたが
キャラクターデザインを作るところまでは反対でした。
『自分がこのキャラクターのポジションだね!』
家系図だけ貼って、来訪客が想像を膨らまし、
家族で話し合い盛り上がるのが楽しいのではないか?
そんな風に思い、とある所に企画書を提出したのを覚えています。
というかぶっちゃけ、長野市内にキャラクターが多すぎです(>_< )
http://arisa.the-ninja.jp/about/assist.html
確かにこれで、来訪した子ども達にサイ太郎のお面をかぶせて
君もサイ太郎になろう! ・・・そんな事が出来るかも知れない。
でもそれでは、今までボランティアさんがやられていた
駅長帽子を被せるという行為が薄れてしまうのではないか?と感じる。
公式・運営側は、そこまで細分化で決めてしまう必要はないのではなかろうか。
先日、アンチ という記事を書いた。
ランドセルを贈るということは、
子ども達からランドセルを選ぶという権利を奪うことだ と。
果たして、作ったこと・送ったことでどうなるのか?どうしたいのか?
ただ盛り上げたい!助けたい!っていう薄っぺらい気持ちだけでやった所で
相手の事を本当に考えていると言えるのだろうか?そんな風に思います。
善意が人を殺すって所でTwitterから気になるものを見かけました。
いかんでしょ pic.twitter.com/JnrdKA1zho
— そらいと (@sorabethere) 2017年12月26日
2017年12月28日
世の中溢れすぎている
音楽は無料で聴けて当たり前って考えてる人が多すぎる…お金を払って音楽を聴く文化はどこいった pic.twitter.com/8lR9Zap33T
— RISA (@ly1wc) 2017年12月18日
「無料にしろ」って結局
— あいるんるー(AILL) (@lululu_love72) 2017年12月19日
「この歌や曲には、金を払うだけの価値はない」
「その歌や曲はそこまで好きじゃない」って
言ってるのと
同義なんじゃない?って思いますね。
その歌や曲に価値を見出したなら
応援の意味も兼ねて、買うのが普通だと思います。
勿論、法外な価格なら怒っていいと思うけど。
お金を払ってまで聞くに値しない曲…。
聞いてやってるんだから無料にしろ!!
どちらの方が立場が上なんだ・・・った感じに思っていました。
使ってやってるんだから無料でいいだろ!!
何かゆるキャラ…着ぐるみでも有るような問題だなと思います。
その一方で思いました。
信州人にとって、りんごなどは貰い物であり、スーパーでは中々買わないと。
それつまり、世の中には商品が溢れてて、
更には売ってるよりも高品質のものが無料で手に入るのなら誰も買わない。
・・・昔、東京で買ったりんごがボケてたのには驚いたものでした。
(ボケるって方言から通じなかったのも驚きましたけど)
これ、実は音楽でも言えるような気がしています。
ボーカロイドという技術もどんどん進み、歌ってみたも流行るようになり
youtubeとかニコ動とかで上げる人が、もはや本家を超えてしまった・・・
そこは聞き手の好みもあるのでしょうけれど、
本家以上のものが無料で聞けるようになってしまっているのではないかと。
まぁ音楽って歌い手で買うのか?メロディで買うのか?ジャケットやPVを見て買うのか?
実はそこを細分化してみると興味深いものなのかも知れないとは思っています。
結局何が言いたいかっていうと
先日の名誉ってなに? に通じてくると思うのですが
他人を何で評価し、深みを持って考えられるか?
どうしたらお金を払っても良いと思われるか?
そんなところだろうなと思います。
2017年12月27日
『マニア』が殺す
かつて こうあるべきがワザワイを引き起こす?!
そのようなタイトルの記事を書きました。
そして、Twitterで似たような案件を見かけました。
うわあ。「あらゆるジャンルは『マニア』が殺す」の極北をみるようだ。
— くらむじぃ (@Clumsy_k) 2017年12月24日
こういうひとが自分の趣味の近所にいたとき、どうするのが最適解なのだろうなあ。なんらかの方法でお縄になってもらうとかかしら。おつかれさまです…。https://t.co/gQu2YUaKBI
まぁ、傍から見れば自分もそちら側・・・
イキリオタク側に見られているんだろうなとは思っています。
でも決定的に違うのは、それを遊びとして自分の為だけにやっているのか?
仕事として誰かの為にと人前でやっているるのか?って所かなと。
新人のくせに!とか、
こっちは今までどれだけの年月を応援し
どれだけの金を落としてきたと思ってるんだよ!
ここまで苦労して築き上げてきたのに
ニワカが易々と私と同じ立場に立つんじゃないよ!
・・・そんな感覚は近いのかなとは思いますけれど。
流石に運営側の人間でもないのに、
二度と現場に来ないでください!は言い過ぎだとは思いますが、
もし仮に自分が同じ立場だったら、逆に追っかけてってこうやるものだ!とか
半年ROMって勉強して出直してこいって言ってしまうかも知れないなと思います。
もちろんそうなってしまう理由の中には
アクターに恋愛感情を抱いてて独占したい!って気持ちもあって
そうなってしまうのも仕方ない事だとはいうのは分かるような気がします。
でもファンだからこそアクターさんの公私の線引きはするべきだと思うし
一昔で言う親衛隊っていう立場として変なファンから守るのが本来の役目であって
あんたが変なファンになってどうするんだよ!って部分でもあるのかなと思う。
互いが互いにいがみ合ってても仕方ない中で、大人になろうよって案件かなって。
自分のバイブルであるAKB49という漫画んこんな一節がある。
『アイドルとは衣装(ふく)だから』 と(11巻 前田敦子談)
衣装(着ぐるみ)に着られるな! とは普段言っていますが
結局ファンとは衣装を見に来るようなものだと。
つまり衣装を脱いだその人・ステージを降りたその人は、ただの一般人だということ。
仲良くなりたいのは分かるけどそれこそストーカー行為・・・犯罪の一歩手前なのかなと。
そんな事を思いながら悶々としておりますが
結局、こうあるべき!って思ってしまうのが負けなのかなって思います(´・ω・)。

2017年12月26日
輝くって、楽しむこと
ラブライブ!サンシャイン!!の一挙放送見てました。
ラブライブ!の方は見ていましたし、
学校を背負って戦う?歌う?スクールアイドルってコンセプトが
ご当地アイドルのそれと似てる気がしていてホント素敵だと思う。
そんな中で最終話、素敵な名言をもらいました。
輝くって、楽しむこと
・・・今までの私は、正しさ重視でやってきました。
美しく輝くためには先達が培ってきたルールを守ること。
正しさこそが輝くための手段なのだと揺るぎなき心で思ってました。
ルール無用で好き勝手やっても汚いだけ、それこそ名誉毀損にも繋がるだけ、
楽しむ為にはルールも大切であって、ルールを守りましょう!そう訴えていました。
キャラクターが輝けるようにしたい!
その想いが皆が楽しむ為の土俵作りをしたい!
そんな気持ちに変わり、正しさばかりを訴えていた気がする。

・・・でも果たしてそこに楽しさはあったのか?
自分なんて嫌われてもいい。
それでも相手に扱い方が伝わればそれでいい!
例えば相手にブログへの画像とかyoutubeの貼り方を教えられたらそれでいい!
そんな気持ちだった。
好き勝手やってもその人が楽しいだけ。
勝手と自由は違う中で誰もが楽しめるようにルールを伝えたい。
自分はそう訴えていたつもりだった。
でも伝え方としてルール無用でやってもつまらない!って訴えるより、
ルールを守るとこんなに楽しいんだよ!って訴えれば良いのかなって。
そこを履き違えてしまっていたのだなって思った。
それってゆるキャラを殴って楽しんでる層に、殴らない方が楽しいんだよって
虐め・虐待をする人にダメって訴えるより、やらない方が楽しいんだよ!って
訴えるのと同じことだなって気がつきました。
私、もっと輝きたいんです……!
https://ameblo.jp/x-konkon-x/entry-11615955018.html
4年以上前からずっと言ってた事を思い出しました。
2017年12月25日
名誉ってなに?
誹謗中傷・・・名誉毀損。そもそも名誉って何?
そんな事を考えています。
その人にとっては名誉な事かも知れないけれど、
こちらにとって、それは名誉どころか汚点だと思う中で
変えて欲しいって願うからこそ、誹謗中傷って起きるのかなって思っています。
本来は名誉だと思うことをもっと羅列すれば良いのかも知れない。
汚点だと思う人達を論破出来れば、アンチをファンに出来るのかも知れない。
それもしないで、ブロックしたり名誉毀損だの誹謗中傷だの騒ぐのは
傷の舐め合いだとか自慰行為に他ならないのではないかと思っています。
正しく先日の、正義とは何か? でも言いたかった部分。
Twitterでこのようなツイートを見かけました。
ヒトは価値がわからないと「スキルよりも努力」で価値を決めてしまう
— アプリマーケティング研究所 (@appmarkelabo) 2017年12月25日
あるカギ屋さん、新人でカギ開けに苦労してた頃は、たくさんチップをもらえた
しかし、スキルが上がり「努力の可視化」がなくなると、なぜかお客さんは「高い」と怒るようになった
アリエリー教授の「行動経済学」入門 より pic.twitter.com/FLzqeLv18Q
出来ない人が出来ると褒める割に
出来る人が出来てもそっけない態度を取られる。
出来て当たり前!・・・プロなんだから!・・・みたいな。
そして自分とは別の世界の人だって親近感も薄れてしまうと。
スキルってもっと評価されてもいいと思うし、
本来スキルこそ名誉になり得るのではないだろうか?
かつて オタクとニワカ なんて書いていますが
半年ROMれ だとか郷に入っては郷に従え そんな部分。
本来は先達が培ってきたものもある中で技を盗み、真似ていくことが大事で
それもしないで、自分も出来ると勝手に思い込んで、劣化版を提供し
クオリティを下げるような事をして何が名誉なんだと声を大にして言いたい。
やったことにだけ、ただただ感謝し、満足していれば良いのか?
そんな部分である。
世の中がグローバルになった分、人の視野って
逆に狭くなったんじゃないかなって思います(・ω・)

2017年12月23日
正義とは何か?
貴方は発信者の気持ちを考えていないって逆ギレされるパターン。
やってやってるんだから感謝しろ的な?
当事者をノケモノにして、むしろ当事者の為にと言いながら、
当事者をネタにしながら自分たちが楽しんでいるだけなのでは?
そして「やってやってるんだからお前らも賛同しろよ!」みたいな案件。
・・・最近多い気がする。
「お前たちのためにやってあげているんだ」「煩いなら耳栓しろ」この言葉は苦情を申し立てた住民に沖縄サヨクが言い放った言葉。早朝6時前から米兵に向けて放たれる活動家の罵声に悩んだ地元住民が貼りだしたお願い。しかし活動家らはこれをせせら笑うかのように、この上に案山子を結わえつけた。 pic.twitter.com/VtxjPrN7Bp
— ボギーてどこん(チーム・イージス) (@fm21wannuumui) 2017年12月23日
昔、いじめっ子に頭突きをされた事があった。
そしたら自分の方が頭硬かったらしくて、いじめっ子の方が頭から血を出して、
なのに何故かこちらが先生に怒られ、クラスから白い目で見られるようなことがあった。
今の時代、ネットですぐに答えは手に入る。
でも本当はその答えを導くまでの過程が大事であり
答えになる前にもっと議論を重ねるべきだと思う。
そんな議論もできないまま出来ない事をやって、
自業自得で怪我したのに誰かに当たらないと気が済まない的な・・・
怪我をしたことも受け入れられない人が多いような気がする。
確かに自分が楽しくなければ周りも楽しくないとは言うけれど、
楽しければ何をやってもいいのか?
文化祭も準備の時間が一番楽しいというように
本当はもっと準備の段階で色々な人と話をすることが出来ればいいのに・・・
最近そんなことばかり考えてる。

2017年12月22日
アンチ
はっきり言って私は反対派です。
http://thinking-to-do.net/2016/05/17/実は迷惑?-タイガーマスク運動/
やりもしないで文句を言うな!と他人は言うかも知れない。
でもやらない方が良いと思うからやらないだけで、本当はやらないという行為をやっている。
ただ、やらないとやれないは違う中で
自分の分身が何人もいて、財力があった時にどうしたいか?かなと。
ここで言いたいのは自分あっての人助け。
いくら自分を投げ出して身を粉にしてまで助けたとしても、
相手からは片手間でしょ?って思われてしまうのがオチである。
それは正しく、先日書いた
愛してる!・・・そんな言葉じゃ伝わらない。 と一緒かなと。
最近、こんなことを思いました。
障害者体験って、一回やれば満足って人が多い気がすると。
でも障害者からすればそれは毎日の事であって、
一回やれば満足って何だよ!ふざけんな!って案件だと思うのね。
同様に着ぐるみも一回やれば満足!ではなくて、
地域の為に何かをやってる人が、発表の場としてもっと使えたらって思うのね。
発表の為に何かをやってる人が着ぐるみ着れないでいるのに
遊び半分の人が何の責務も負わないままやるのは何か違うのかなって。

2017年12月12日
愛してる!・・・そんな言葉じゃ伝わらない。
愛してる!・・・そんな言葉じゃ伝わらない。 と
それはまるで宗教で言う信者になったような感覚。
相手の気持ちなんてお構いなしに
それはもう、こちら側だけが一方的に好きになってしまったんだろうと思う。
本当はもっと他人を信じたい。
相手の事を想って動いていきたい。
けれど向こうがこちらを考えてくれないなら、せめてこちら側だけでも・・・

でもそんな一方通行の思いって
相手の気持ち次第ではストーカーへも変わってゆく。。
相手の事を思えば想うほど、その想いは暴走し
実は相手の事を考えられてないなんて事実に直面するのかも知れない。
会いたいとか、恋しいとか、そんなラブソングは多く存在する。
そういうのを聞けば聴くほど、こちらの相手に対する想いは高まっていく。
でもそういうのって、相手にとっては『知らんがな!』って部分であって
場合によっては、ストーカーきもいって通報案件に繋がってしまうのも事実。
想いが重くなって受け止めきれないなんて事もあるのかも知れない。
このブログでも以前書いたような気がするが、
本来はもっと想いとして完成する前に、
他人と話し、相談し、コミュニケーションをとる事で
自分の考えは合っていたのか?間違っていたのか?を見ることが大事。
人生、主観的な視点と客観的な視点を繰り返す事が大事である
・・・先日参加したセミナーで、そのようなお話を聞いてきました。