2017年12月29日

『形にする』とは想像する楽しみを無くさせる行為なのか?

三才駅のサイまる・・・サイまるの家族

過去にもそのことには触れましたが、
そのキャラクターデザインが遂に完成したみたいですね。
http://www.city.nagano.nagano.jp/site/kanko-nagano/404200.html

でも自分の中では、家族図を作ることには賛成でしたが
キャラクターデザインを作るところまでは反対でした。

『自分がこのキャラクターのポジションだね!』
 家系図だけ貼って、来訪客が想像を膨らまし、
 家族で話し合い盛り上がるのが楽しいのではないか?
そんな風に思い、とある所に企画書を提出したのを覚えています。

というかぶっちゃけ、長野市内にキャラクターが多すぎです(>_< )
http://arisa.the-ninja.jp/about/assist.html


確かにこれで、来訪した子ども達にサイ太郎のお面をかぶせて
 君もサイ太郎になろう! ・・・そんな事が出来るかも知れない。

でもそれでは、今までボランティアさんがやられていた
駅長帽子を被せるという行為が薄れてしまうのではないか?と感じる。


公式・運営側は、そこまで細分化で決めてしまう必要はないのではなかろうか。



先日、アンチ という記事を書いた。

ランドセルを贈るということは、
子ども達からランドセルを選ぶという権利を奪うことだ と。


果たして、作ったこと・送ったことでどうなるのか?どうしたいのか?
ただ盛り上げたい!助けたい!っていう薄っぺらい気持ちだけでやった所で
相手の事を本当に考えていると言えるのだろうか?そんな風に思います。

善意が人を殺すって所でTwitterから気になるものを見かけました。

  

Posted by 亞璃紗 at 23:29Comments(0)日々の出来事